嫌なことを嫌だといったら人として尊重された話。
自分を大切にするとは、嫌なことは嫌だということだと前の記事で書いた。
これをしたら、人から嫌われるのでは?と思う人もいるかもしれない。
答えはYesであり、Noでもあった。
たしかに、わたしの物言いに不快感を覚えて去っていく人もいる。
でも、その人はきまって私から何かを搾取しようとしている人なんだ。
わたしを都合よく利用したい人とか。
体だけが目的の人とか。
そんな人と長く付き合っていたら、どうなるか?
そのときはいいかもしれないけれど、付き合いが続いて、搾取され続けたら、いつかまたメンがヘラる。
つまり、自分の身を滅ぼす。
だからダメ。
去ってもらった方がこちらも都合がいいのだ。
自分が嫌なことをNoと言うようになってからは、
自分を大切にしてくれる人だけが、まわりに残ってくれた。
そういう人たちは、私が正直でいることをよく思ってくれる。
「素直に話してくれるから安心して付き合っていける」
と言ってくれた。
いつも誰にでもいい顔をする人は、疑われる。
だって、誰にだって光と影があるんだから。
光しかないような人は、かえって怖がられる。
あの人には裏があるぞ、と。
だから、Noを出した方が、人間らしい。
人間らしいから、安心してもらえる。
結果、尊重してもらえる。
嫌なことを呑み込めば、逆に嫌われる。
嫌なことをハッキリ伝えれば、尊重される。
だから大丈夫。